2008-09-25

Open House

先週末にOpen Houseというのがありました。普段は入れない建築を一般に公開するイベントで、毎年行われています。金曜の晩にFabricでのオールナイトのイベントに行き、友達と一緒に昼から行くという誘いを断ってまで、2時間睡眠の後に4件回るというという強行スケジュールでかなり疲れた。


Lloyd's of London:Richard Rogers
とりあえずこれは見ようと思ってました。実際一番人気あるみたいで朝行ったら1時間以上並んだ。この超インダストリアルなデザインがどれぐらい理にかなったものなのかは謎だけど、とにかく独特の雰囲気を放っててクールです。80年代の終末的な未来観がもはやレトロフューチャーな域ですが、20年以上経った今見てもかなりとんがってます。これからもダンディーに歳を重ねそうな建物で、いつか世界遺産にでもなる気がする。 
システムとか素材は未来的だけど実はすごく古典的な言語を使っているので分かりやすいというか、スペクタクルに満ちている。中央の吹き抜けの上昇感はまさにゴシック教会みたいで、ただただ圧倒的。見学の順路も大聖堂のそれと何となく似ていた。。。あとこの建築はモジュールの節目がすごく強調されてて、小さな部品を人間様が組み上げてできてるんだよってゆう、人間の構築力をすごく礼賛してる感じがします。石をひとつ一つ積み上げて壁を築いてきた原始からの、人間の本能的な構築の欲求を体現してす。だから人間にとってひたすら快楽的です。






City Hall:Norman Foster
ロンドンの市庁舎。フォスターの形体感覚って何とも意見し難いものが多いね。これもそうで、すごく練られてはいるんだろうけど、なんでそこで落ち着いたのか分からない形をしてはる。でも議事堂の上部の裾広がりかつ軸が斜めの螺旋階段は予想以上に壮観でした。壮観だけど、やっぱうまく消化できない部分が残る。でも最近ガーキンは愛おしく見えてきた。





Village Underground
建物の屋上に古い地下鉄の車両がのっかってて、以前から何だろうと思っていたら、建築家やデザーナーのスタジオになってました。こうゆう元々は違う用途だったものを上手くやりくりして棲息してる空間が単純に好きです。デザインというより知恵と言った方がしっくりくるような。ヨーロッパにこうゆうのが多いのは羨ましい。人間が作った構造物に対する重みが日本とは全然違います。一度建てちゃったものは、自然環境と同じぐらい如何ともし難いものとしてあり続ける。地下鉄の車両に住むことは、感覚としては自然の洞窟に住むことと大差ない。 中目黒のさくらショッピングセンターがなくなっちゃったらしいね〜。すごく好きだったので残念です。でもやっぱあの古い木造の華奢な建物は見るからに頼りないよな。。。







Rivington Place:David Adjaye 
外観はカッコよさに比べて中はなんか薄味。。。大きさがグラデーションで変化していく窓のデザインはよく考えられてて面白いけど、結局それ以上のものは中にはなかった。写真でしか見てないけど、彼の住宅作品のほうがアイデアが詰まってる感じがする。ミニマリズムとアイデアに乏しいことは紙一重で、これはかなり難しい問題。 



それにしてもロンドンの人はみんな建築に熱心で羨ましい。建築とかデザインとかに関係なさそうな普通のおっさんおばさんも精力的に建築を見学しに足を運んでた。特にロイズの長蛇の列は異様でした。日本で同じようなイベントが開かれたとして、こんなに一般の人が集まるかは疑問。少なくとも一番身近なおっさんとおばさん=うちの両親はわざわざ行かないだろうなー。


<Link>
Rivington Place


それから、g86ってゆう、東京工業大学の建築の学生グループがやってるブログに僕のインタビューが載りました。。。多摩美での作品やロンドンの大学などについての話。学生のうちからこうゆう活動をしてる彼らはほんとにエラいよ。巻き込んでもらえたのは幸運としか言いようがないです。ありがとうございました。

2008-09-07

自分に帰ってくる。

24のシーズン5の驚異的な複雑さと予想外の展開に鷲掴みにされ、連続で見過ぎて頭が痛い。でも今日は雨と風が強かったので家に籠っているほうが懸命ってもんです。どうでもいいけど、シーズン5には、ロード・オブ・ザ.リングのサムと、ツインピークスのリーランド・パーマーが出ててそれはそれは愉快です。
それにしても24で話される英語は早過ぎてチンプンカンプンでやるせなさでいっぱいです。(DVDは英語版。)どうしてまだこんなに英語がわからないんだ自分?今頃もうちょと英語にチューニングされてる予定だったんですが。。。人質とか、暗殺とか、誘拐とか、神経ガスとか、厳戒令とか、そうゆう日常会話ではあまり使わない言葉は覚えたけど。

異国のロンドンにいたって、来てすぐの外界の目新しい世界に目を奪われてた時期を過ぎ、普通に部屋でDVDを見たりして休日を過ごすようになると、日本にいた時とそんなに変わらない気がしてくる。できる限り外の物を吸収しようと一旦は奮闘しても、それも一段落すると再び自分に戻って来る時間を持つようになってきた。これは森有正さんの「はるかに行くことは、遠くから自分に帰ってくることだ」という言葉の影響受けまくり発言なんですけど、その意味が何となく分かるのです。帰って来た自分が成長してるようにと、遠くに出かけて行くのです。遠くに行くのは目的ではないのです。帰ってくる場所を失ったら人間はおしまい。で、その帰って来た自分は3ヶ月前と何か変わったか?髪が伸びたこと以外にも、たぶん何か変わってるんだろうけど、根本はほとんど変わってないと思う。そりゃいろいろ新しい経験はしてるけど、まだまだ積み重ねがいりそう。でも雨でも傘を差さなくなったかな。
周りの風景や人種が変わっても、自分は自分。結局自分は世界のどこに行ったって逃れようがなく、一生かけて経験を蓄積していく装置です。ひたすら上に上に、一元的に。節目はあっても枝分かれや全く新しい再出発なんてことはない。リニアな線です。(卒制の時もこんなことを言ってたね。)この装置だけが自分が信頼できる唯一のもの。この装置と、それを補助するいくらかの証拠品さえあればとりあえず満たされる。
今までのまだ乾いてもない、厚塗り上にさらに上塗りする訳だから、きれいにロンドン色に塗り替えられるわけじゃない。しかもこの頑固者の僕は、その引きずってるもののどうしようもない重さをひしひしと感じる。過去をわざわざ振り返るまでもなく、今の自分に影響してるものの重さ。ロンドンに住むってゆう一見重大な変化も、今までの経験の蓄積の中にすっかり飲み込まれていく。自分の過去の前にしたらロンドンという異国は大したことないのかもしれない。別に悪い意味じゃなく、自分の過去の蓄積は偉大なもんだということです。その自分の一貫性は宝物です。こうゆうのをアイデンティティってゆうんですか?それをわざわざ断絶させるのもナンセンスだし。より人間らしくするために他人の過去の記憶を人造人間に移植したタイレル博士は正しい。
と同時に、金と時間を費やしてるんだから、それに見合うだけの新しい物を得る努力も怠りたくもない。でもこうゆうことってほんとに積み重ねで時間がかかる。
多様すぎるロンドンは僕を簡単に受け入れはするけど、僕を必要としてないしかわいがってもくれない。英語ができないことを除けば外国人であることはここでは何も意味しない。ロンドンに何しに来たか?ちょっとした香り付けでしょう。それも自分にしか分からないような微香でしょう。それがいいもんかどうかは知らない。

そんなことより、Radioheadのトム・ヨークともう一人が、寝起きのような緩さでカバーしてるPortisheadの"The Rip"がすごくいいです。いやまじで、これを紹介しようとして書き出したんです。


原曲も泣ける。ビデオのキモさもピカイチ。